「自分のやりたいことに日々挑戦しつづけていけば、どこかにたどりつく」
本村杏珠 さん (琉球朝日放送 報道制作局 記者)
モデル?タレント?女優(オフィスリゾム所属)
1996年、那覇生まれ。「アムロちゃん(安室奈美恵さん)のバックダンサーになりたくて」小学生のころからタレント事務所に所属し、中学?高校生時代からモデルの仕事をこなす。高校卒業後、海外留学を目指して沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科に進学。ラジオのレギュラー番組を持ちながら仕事と学業を両立させ、2018年に卒業。現在、沖縄県内のテレビ?ラジオ番組でのレポーターのほか、テレビコマーシャルやファッションショーへの出演など、タレントとして活躍の幅を広げている。夢は、起業して沖縄の人材を育てる会社をつくること。
沖縄のことを外から見てみたかったので、海外留学をしたくて。それと比較的英語が得意だったので、国際コミュニケーション学科のある沖縄大学を選びました。それから、ジェンダーや女性の社会進出について研究されている宮城公子先生がいらっしゃったことも、沖縄大学を選んだ大きな理由のひとつです。
高校生のときに宮城先生のお話を聞く機会(講演会)があって、先生が沖縄の女性の歴史について熱く話しているときにうるっと涙しているのを見て、「大人になっても泣けるんだ。この人は信用できる人だな」と、そのお人柄が印象に残りました。
大学に入ってからはゼミの先生として、4年間ずっと私のことをめちゃくちゃ応援してくれて、先生のおかげで勉強と仕事を両立できたと思えるくらい大切な人です。
私の職種はどちらかというと男性が多い現場なので、日々、男性と女性の表現の違いや、伝え方や受け止め方の相違を感じて戸惑うこともよくありました。それをどうやって伝えていいのか、スムーズにいかなくて悩んだこともあります。現場で駆け出しのころは、自分の主張を言葉に出すときもためらったり。
でも、宮城先生は、いつもはっきり自分の思いを自分の言葉で述べていらして、「女性が自分の気持ちをはっきり伝えられるように、あなたたちのような若い人が変えていかなければならないのよ」と、励まされました。
それから少しずつ、自分を主張する大切さを考えるようになって、相手に伝える強さを持ち、真っ直ぐな想いと謙虚さを私なりの言葉とか柔らかさをもって、自分の気持ちを相手にうまく伝えることができるようになりました。
モットーというか、普通に生活していく上で大切にしていることですが、しなやかに生きたくて。頑な芯を持つことが大事だと思っていた時期もあったんですけれど、時代は流れていくし、出会う人も変わっていく。だから、芯は揺るがないけれど、しなやかに生きていたいと思っています。
相手を変えることはやっぱり難しいから、自分がどんどん変わって、成長していきたいとも感じています。今、24歳ですけれど、60歳、70歳になっても変わらずに成長し続けていたいです。そうであるように頑張ります!
毎日、日々ぶつかっています。でもそれは、自分のハードルを日々上げていくことと比例している気がします。
実は、私はすごい泣き虫で負けず嫌いなので、子どものころは、「どうして?なんで?」が口癖だった時期もありました。相手と自分の意見が違うときにも、以前は相手の意見を変えようとしていたんですけれど、自分が変わったほうが楽だってことに気がついて。
自分の意見を通すことよりも、「この人はどうしてそうしたいのか?」を理解することが大事なんだなと。相手ではなくて、その人が見ている「私」を変えていこうと思えるようになりました。
何かイヤなことがあったときは、宇宙から地球を見るようにしてます。そうすると、「私、ちっちゃいことで悩んでるな~。こ~んなにちっちゃいことだから、よし、大丈夫!」って。そう思うことで楽になれるから。
眠れないときは、雲の上にふわふわ乗っている自分を想像すると眠れます。自分が楽になることが、とにかく大事です。
英語コースに所属していたので、英語の講義が主でしたが、講義と同じくらい学べたのは「時間の使い方」です。小学校や中学校では時間割が決められているけれど、大学では自分が何を学びたいかを決めて、自分で単位を計算して計画を立てていかなければならなくて、それってめちゃくちゃ楽しいけれど怖くもあって。
私の場合は仕事の時間も流動的だったので、ちょっとしたミスで時間を無駄にしたり、単位を落としたりしないように、ものすごく真剣にスケジュールを組みました。
あと、どうしても出席できない授業はレポートで単位を取れるようにお願いするとか、先生と交渉することも覚えましたね。
沖縄には、もっといろいろな可能性があると思っています。
まわりにいる友達がみんな才能に溢れていて、でも、県外に出て行くと沖縄に帰ってくるタイミングを逃してしまったり、県内では働く場所がなくて夢を諦めてしまったり。だから、そういう子たちが輝ける場所、自信を持てる場所が沖縄にあればいいなぁと。
これはまだ準備段階なんですけれど、いつか起業したいと思っています。自分と同年代とか、下の子たちが力を発揮できるような場所をつくったり、人を育てるような会社をつくりたいなぁと。
今のわたしにはまだ知識が全然ないので、チームを作って仲間を増やしていきたいですし、タレントとしての自分の知名度を上げて広告塔になることも大事。
沖縄はこれからもっと注目されて、アジアとのハブとしても発展していくと思うので、私はあえて東京には進出しないで、沖縄というフィールドで活躍し続けていきたい。
今のお仕事を通じてメデイアの人たちとも良い関係を築いていって、最終的には、自分のまわりの子たちがどんどん社会で活躍できるような環境をつくれたら…と思っています。
時代は流れていくし、出会う人も変わっていく。
芯は揺るがずに、しなやかに生きていたい。