「自分のやりたいことに日々挑戦しつづけていけば、どこかにたどりつく」
本村杏珠 さん (琉球朝日放送 報道制作局 記者)
日本オリンピック委員会強化スタッフ 全日本空手道連盟ナショナルチーム?コーチ 清水那覇龍鳳館?館長
1982年茨城県生まれ。土浦日本大学高等学校、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科卒業。小学校3年生から空手道を始め、世界選手権には4回連続出場し、いずれも決勝戦まで進み、優勝2回?準優勝2回に輝く。2009年に通信制高等学校の教員となり4年間勤めた後、再び沖縄に戻り、空手道の指導者として全国チャンピオンを輩出。2020東京オリンピックでは空手競技の解説者を務め、わかりやすく的確な解説が評価される。劉衛流龍鳳会会長の佐久本嗣男氏に師事し、喜友名諒選手を始めナショナルチームの選手指導にたずさわる。
※清水由佳さんは、現在那覇市泊に道場を開設されています。本大学空手道部の指導はされていません。
日本オリンピック委員会強化スタッフ
全日本空手道連盟ナショナルチーム?コーチ
清水那覇龍鳳館?館長
(一社)劉衛流龍鳳会?監事
(一社)佐久本空手アカデミー?監事
名桜大学非常勤講師
沖縄国際大学非常勤講師
私があまりにもお転婆娘だったため、親がこの子のエネルギーをどこかで発散させなければと連れていったのが空手の道場でした。空手衣を着せられいつの間にか入門させられていましたが、道場の先生や先輩方の稽古中の凄まじい気合、それとは対照的に休憩時間等に優しく声をかけてくださる、そのギャップにすっかり魅了され、気づけば意欲的に通うようになっていました。
茨城の道場の先輩に世界チャンピオンが誕生し、金メダルを持たせてもらう機会がありました。感銘を受けると同時に、「私も世界チャンピオンになる」と心に決めたのが小学校5年生の頃でした。
道場の先生が空手道の歴史を話される時に「空手発祥の地は沖縄」といつも言われていたので、大好きな空手道の本場に行ってみたいという純粋な気持ちが芽生え始めました。
沖縄の風土や大学についてはまったく無知でしたが、全日本学生連盟に加盟して活動していたのは当時沖縄大学だけであったため、沖縄大学に進学しました。
大学では、教員免許(公民)も取得しました。教育実習を2週間こなし、終了直後に世界選手権大会に出発した時の過酷さや慌ただしさはいい思い出となっています。
ナショナルチームに入って8年間、1度も他のチームに日本代表の座を譲ることなく、アジア大会?世界大会と出場し続けるなか、毎回「これが最後」と思って過ごしていました。まだ次がある、次こそは頑張る…という概念はなく、常に「たとえ今日命が尽きても、私は人生全うしたと言える!」とストイックに生きてきました。
プロスポーツでは、幼少の頃から英才教育を受け、競技中心の生活経験しかないため多くのスポーツ選手がセカンドキャリアの構築に悩んでいると聞きます。私の場合、選手人生は「太く?短く」をモットーにしていたので、引退に対して少々の心配はありましたが、恐怖や悩みはありませんでした。
私が最も嫌うことは「停滞すること」です。現役選手は人生の通過点でしかないと気付いてからは、人生においての目標立てをするようになりました。
引退後は、私を導いてくださった学校の先生方がどのような視点で生徒と接しているのかを学びたくて高校教諭になりました。覇者としての成功体験だけで生徒に接するのではなく教育学や発達心理学を念頭に、教育現場で働いてみたいと思ったからです。
4年間高校で勤めた後は、高校教員として培った学びを、今度は空手道の指導に落とし込む作業をしました。世界一の先生から世界一の技術をいただき、家族も親戚も協力してくれたおかげで成し遂げられた日本代表時代。そのスキルを活かした指導者になりたいと意識するようになりました。
空手道に依存するのではなく、空手道を通して人生を豊かにしたい。そのツールとして今も空手道を大切に学んでいます。世界中の人々と友好関係を築き、空手道で恒久平和を実現したい。その礎のひとつに私もなりたいと思っています。
結局は空手道の魅力よりも、空手道で出会った人とのご縁に魅力があるのだと思います。
どの職業においても、「何をするか」ではなく「誰とするか」の方がずっと重要で、人がやり甲斐を感じるのもそこにあるように思います。私は、茨城の櫻空塾、沖縄の劉衛流にそれぞれ出会い、育てられたことに心から感謝しています。感謝の気持ちを忘れずに、恩返しは「次世代につなぐこと」だと信じて、空手道の技に限らず心意気を伝承していきたいと考えています。
1に「自分を信じ抜く力を磨くこと」
10代の頃の私は、大人たちから「空手では飯は食べていけない」「あなたみたいな小柄なスポーツ選手はいない」「早く空手は辞めて勉強しなさい」と耳にタコができるほど言われてきました。その都度考えてはみるものの、答えは決まって「空手道のない人生なんて考えられない」の一択でした。なので、自分の気持ちを貫くことにしました。貫くことは決して簡単なことではありません。大人を説得?納得させられなければ、送迎もしてもらえないし月謝も払ってもらえない。どうあがいても自立できていないのだから無理。日々の生活で、本気度を行動で示し、誠意を見せ続ける根性が必要でした。
世間が言う常識や普通は、自分の住む地域の一歩外に出た途端に非常識になることもあります。就職氷河期、東日本大震災を経験し、留学や海外遠征等で訪れた20ヶ国以上の国々を見ても、そう思います。
信じられるものは自分。信じ抜いてあげるべきも自分。自分の人生なのですから。
2に「好きなことを徹底して極めること」
私の世代では、小中学生で漫画やアニメから卒業しないとはずかしいとされていましたし、T Vゲームは悪い遊びというイメージがありました。しかし今では、漫画やアニメは世界に誇る日本の文化として認められ、T Vゲームはe-スポーツとして国体の新種目に採用されています。
芸は身を助ける。現代はこの言葉をより具現化しやすい波がきているように思います。
何事も積極的に取り組む姿勢が肝要です。
挑戦することを恐れない。自由に生きる。その代わり腹をくくる。責任と覚悟をもって初めて、物事は成し遂げられるものではないでしょうか。
2020東京オリンピックでは檜舞台に立つ喜友名諒と、監督として重責を担う佐久本嗣男先生を全面支援し、稽古に集中できる環境の整備に全力を尽くすことが私の役目と考えていました。ところが、それに加えて大会のわずか2か月前に形種目の解説者の依頼が来ました。新型コロナ禍で1年延期されたうえ、準備期間も短く様々な制約がある大会、少しでも協力できればとオファーを受けることにしました。引き受けたからには、空手道の本質的な部分を伝えることがオリンピック解説者の使命と考え、大会直前まで空手競技に携わるスタッフ陣と打ち合わせを重ねました。実況に関わるアナウンサーをはじめ放送関係者にも形種目を知ってもらうことから始め、私が空手道人生で得た専門知識等も交えて、わかりやすい資料作りにも奮闘しました。無観客で開催される大会だからこそ、「選手の最高のパフォーマンスを逃さない!」という放送サイドの強い意志があり、私自身もカメラマンの動きに合わせ、映像に映らない部分へのフォローを入れるなどの工夫もしました。
選手のすごさだけではなく空手道の素晴らしさが伝わったのであれば、嬉しいです。
キャリーバッグに空手衣を入れ、世界中を旅したいです。先進国に限らず、途上国?貧困国にも行って、青空道場を開いてその国の人と交流したいです。
戦争がなくならない人類の愚かさを認識したうえで、人類の成長や恒久平和を切望し続けていく、そのためには、地球をもっと回る必要があると思っています。
自分を信じ抜く力を磨き、
好きなことを徹底して極めること