2021年度 就職内定者の声!
2021年度就職内定者を紹介します。各学科代表して6名の就職体験記です。
桃宇菜々さん(糸満高校出身)経法商学科4年
内定先:株式会社沖縄銀行
銀行を志望した理由について
親戚が銀行で働いていたので、話を聞く機会が多くあり、憧れをもち、小学校6年生の頃には将来の夢は銀行員と決めていました。人見知りなタイプですがアルバイトでの接客業を通して人とのコミュニケーションが楽しいなと感じたので益々、お客様との対応も業務で多々ある銀行への就職を志すようになりました。銀行はお金を扱う業務なので信頼関係や人間力が試されるとおもいます。自分のまた沖縄に密着した仕事というのもやりがいを感じています。IT化が進み、ネットバンキング等も進む中ですが、高齢者が増える社会では機械での対応だけでなく人と人の繋がりを大事にしながらサービスを高めていくことが重要だと感じています。
経済や金融を学びたかったので、大学は自宅から近い沖縄大学へ進学を決めました。銀行で働いていた叔父が沖縄大学出身だったこともあり、後押しされた感じもあります。大学では、金融について学べるゼミを履修していたので、先生からたくさん情報を得られ、就職活動に直結した学びが多かったです。
就職活動を振り返って
試験勉強が大変でした。暗記暗記の日々でした。3年次の1月から本格的に勉強をはじめましたが、もっと早い時期から取り組めばよかったと思いました。2年次からはじめていたら、何度も問題を繰り返し見直せたなとは思います。
面接についてはアルバイト先の店長さんが銀行出身ということもあり、面接練習につきあっていただいたり、周りの支援がありがたかったです。面接では小さいころからそろばんを継続してきていることやアルバイト先での責任感を持って努めていることなどをPRしました。あとは常に目標をもち、自分を成長させるために向上心をもって挑んでいることなども伝えました。面接試験は対面だったんですが、パネルがあり、普段より大きな声で、また聞き取れないことがないようにかなり集中して臨みました。マスクを外してよいということだったんですが、いつマスクを外せばよいのかなど、細かいことも気になり、コロナ禍の就職活動はいろいろ手探りで、小さな悩み事も多々生じて、気を遣ったなとは思います。
コロナ禍で県内では沖縄銀行だけがインターンシップの開催となりましたが、3日間のインターンシップもとても勉強になりました。
後輩へアドバイス
SNSを見ないように私は心掛けていました。内定した人の声を見ては凹んでしまったりしますから、それは避けたほうがいいと感じたからです。
自分から情報を取集して、受け身ではなく行動するのみです。積極的に取り組むことが大事です。
今後の夢や目標について
資格取得を目指して、戦力となれる行員を目指します。人間力を高めて、そしてお客様に頼られる存在でありたいと思います。そして少しでも、沖縄のためになるような人でありたいです。
新城絋大さん(八重山農林高校出身)国際コミュニケーション学科4年
内定先:デジタルデータソリューション(株)
大学進学について
中学校まで東京にいて父が単身石垣で農業をしていたことがきっかけで、高校は八重山農林高校に。大学に進学するか専門学校へ進むかを迷っていたんですが、父から「大学は出ておきなさい」というアドバイスがあり、大学進学の時に母が沖縄に引っ越すことが決まって、それなら沖縄県内の大学で奨学金が充実している大学にしようと沖縄大学に決めました。学費の負担を減らして海外へ留学できればと最初から考えていて、大学2年次にはオーストラリアへの短期留学を果たし、その後農林水産省の制度を利用し、アメリカへの留学を決めました。
就職活動について
留学から戻り、3年次の11月~3月はみっちり就職活動に励みました。県外で働きたいという希望があり最初は食品業界を第一志望にしていましたが、コロナ禍になり、枠を広げて企業分析を行いました50~60社ほどの説明会に参加し、22社受けて11社から内定を得られ、IT関連の企業に就職を決めました。リモートでの面接だったので数をこなすこともできたかと思います。これから益々需要が高まるであろうIT関連企業、ITのIの字もわからない自分ですが将来にはとても必要な学びだと思うのでしっかり勉強していきたいと思います。
内定企業との出会いは、登録した就職サイト(「情熱フェスタ」)のイベントで私の提案に興味を持っていただき、声をかけていただいた形です。「2万円のサブスクをつくる」というテーマで私が考えたものに興味を持ってもらえたと思います。(サブスク:サブスクリプション(英語: subscription)の略。定額料金を支払い利用するコンテンツやサービスのこと。商品を「所有」ではなく、一定期間「利用」するビジネスモデル)。そして面接試験等に挑戦したんですが、企業分析を重ね、面接ではありのままの自分が出せることを第一に心掛け、面接も数を熟すことで練習をしたという感じです。全国の学生と勝負したことが、力になりました。
大変だったことは、たくさん面接試験を入れてしまい、1日に2~3社となる日もあり、頭の切り替えが少し大変に感じる日はありましたが、オンラインを活用してたくさんの会社にチャレンジできたことは良かったと思います。
就職必須アイテムは、面接中にもメモを欠かさなかったノートです。
後輩へのアドバイス
就職活動に早すぎるということはありません。まず動くこと!動きながら、答えがみつかることも多々あります。
沖大は自由な大学です。なので自由なところをうまく自分のキャリア形成にと努力していくと良いと思います。私の場合は同級生がとても意識が高いメンバーが多かったことで刺激を受け、負けたくないという想いがたくさんのことにチャレンジできました。充実した4年間がおくれたと思います。
今後の夢や目標は
就職先は、例年800人の志願者から20名程度が内定をいただく会社で、学歴の高い同期が多い会社です。知力ではかなわないと思うので、まずは同じラインにたてるように自分の強みであるコミュニケーション能力を活かしてがんばっていきたいです。
将来はITと食品に関する仕事に携わりたいと思っています。
橋口風伍さん(読谷高校出身)福祉文化学科社会福祉専攻4年
内定先:大阪市社会福祉協議会
沖縄大学に大学進学を決めた理由
高校3年の受験シーズンまで福祉を学ぼうとは考えていませんでしたが、他大学を受験し面接のときにキミのやりたいことは「福祉」分野じゃないかと面接官に言われて、それから「地域福祉」について興味がでてきて、社会福祉士と精神保健福祉士、2つの資格が取得できる沖縄大学への進学を決めました。
沖縄大学に進学してよかったと思っています。それはテキストに載っていない部分の学びができたことが一番の魅力じゃないでしょうか。現場出身の先生方が多く、経験からのお話し、また課外活動を紹介してくれたり繋げていただき、社会福祉を突き詰めた勉強が多かったと思います。
大阪への就職を決めたのは、ゼミ担当の金先生から求人がきているけどどうかと勧めらえたのがきっかけです。県外で就職したいというのが前々からあったので、すぐに挑戦してみようとなりました。大阪は他県に比べて地域の人たちと新しいことをやっていこうという
取り組みが盛んで、地域福祉の観点から福祉の最先端の地域だと思うので、そこで働けることに魅力を感じました。
面接時にPRしたこと
これまでイベント企画をたくさん実践してきたことをアピールしました。また資格取得に取り組んだこともPRしました。面接で心掛けたことは、「嘘をつかない」ということです。台本もつくることなく、正直に受答えをしました。
リモート面接だったんで、工夫した点としては、背景を白い壁にして、顔の輪郭をはっきりさせるようにしたり、照明を明るくしたりと工夫はしました。
橋口さんが大学在学中に取得した資格紹介
ICTプロフィシエンシー検定 準2級
Microsoft Office Specialist Word2016
Microsoft Office Specialist Excel2016
防災士
第一種教員免許状(高等学校福祉科)
社会福祉士は卒業後の3月中旬に合格発表予定。
就職活動について、改善できたらと思うことは、沖縄県の福祉関連の求人は時期が遅いんです。他府県は4年次の6月から求人情報に出会えチャレンジできる機会があるのですが、沖縄県は4年次の2月頃なので、県内で就職をと考えている人は、国家試験の試験勉強を終えてバタバタと就職活動も平行させるので大変だと思います。
今後の夢
福祉についてもっともっと勉強したいと思います。
社会教育士や特別支援等、教育関連の資格取得も目指したいです。
あとはみんなのためにと働く人でありたいと常々思っています。
後輩へのアドバイス
人生の将来設計(キャリアプラン)について考えて、社会人としてのスタートにどのような就職先に就くのかイメージしてみるのも大事です。
仲松大路さん(具志川高校出身) 福祉文化学科健康スポーツ福祉専攻4年
内定先:沖縄防衛局
沖縄防衛局を志した理由について
最初は市役所を志望していて、公務員試験の勉強をスタートさせました。勉強をしていくうちに幅を広げていきました。防衛局の試験が他の公務員試験より先にはじまり10月1日に採用の連絡があったので、沖縄防衛局に決めました。
就職活動を振り返って
一番大変だったのは勉強です。1日13時間勉強していました。勉強をはじめたのは3年の夏休み前から(7月頃)で塾に通いながらですね。塾では沖国、琉大の学生がいたので、負けたくないという想いからかなり勉強しました。人生で一番勉強した。県庁の採用試験も1次試験は突破したんです。かなり勉強はしました。
面接時に聞かれたことは大学での学びについて特に質問があり、私はゼミでのFC琉球のプロモーション施策を提案する取組みについて答えました。また、メンタル面の質問もあり、人との接し方やコミュニケーション力について問われました。
コロナ禍というのが人生の決断に大きな影響を与えることになったと思います。
アルバイトでジムのトレーナをしていたので、このままこの仕事に就こうと思っていました。ですがコロナ禍でジムは営業停止、この仕事は有事のときに生活に影響が出るなと感じて、公務員が良いのではと強く思うようになりました。親は自営業で週6で働いていたので親からも「公務員がいいよ」とアドバイスがありました。
それから猛勉強して、現役で合格したので親はびっくりしていました。「3年ぐらいで受かれば」と思っていましたから。焦りがなかったのが合格に結び付いたかもしれません。
沖縄大学に進学した理由は
沖大に志願したのは、教師の夢はスポーツや体のこと学びたいと思っていたからです。大学生活は楽しかったです。県スポは似たようなメンバーがそろっていて、切磋琢磨していたし、トレーニングもみんなで取り組んだり、励ましあいながら就職活動も頑張れましたし、4年間仲間と楽しく過ごせました。
大学での勉強も関心があることが学べてよかったです。
最初は体育の先生を志望して入学しましたが、3年の前期からシフトチェンジ、公務員へという希望に変わりました。
今後の夢
公の奉仕者としてひとのために。
働くなら誰かのためにとはずっと思ってきました。
後輩へのアドバイス
たくさんのアルバイトに挑戦してほしいです。私も大学時代に7つのアルバイトを経験しました。いろいろな仕事をみて学んでほしいです。
大学のイベントにも積極的に参加したほうがいいです。学校のイベント、研究等について私は、率先して取り組みました。面接のときに積極的にやっていたからこそ話す材料になったと思います。沖大祭には参加したことがなく後悔しているのはそれだけです。
就職活動中、必需品だったもの
時計です。普段はつけないけど、試験会場に時計がなく、時間配分が試験で大事ですから必ず持っていきました。
面接のときも時計もっていないひとでは印象が違うと参考書に書かれていました。時間にきちんとしている人という印象を与えることができるようです。時計は祖父母に成人式にもらった大事なもので、試験への力をもらえました。
一番最初の試験(裁判所試験)のときに時計を忘れて、大失敗したことがあり、それからは忘れずにもっていった必需品です。
赤崎杏奈さん(那覇高校出身)こども文化学科4年
内定先:リコージャパン株式会社
大学進学について
高校までバスケットボール部に所属していたので、バスケットの指導者になるのもいいなと思っていたことや人に教える仕事=教員という職業が向いているのではないかなと思い沖縄大学への進学を決めました。
高校時代から大学の制度や情報については友人たち共有することが多く、国内派遣留学制度についても情報を得ていたので、2年次には法政大学へ1年間の国内留学に行くことも入学してすぐに決めていました。その法政大学での講義で、多くの企業の方から話を聞く講義があり、仕事について興味が湧いてきて、教師の道だけでなく就職活動も平行して挑戦しようと決意した感じです。
実際には教員採用試験の勉強と就職活動は大変でしたがギリギリのところまで両立をがんばれたかなとは思います。3年次の1月からは就職活動を本格的にスタートさせ、就職支援課で面談の練習や合同企業説明会等に参加しました。
就職活動で大変だったこと
コロナ禍でオンライン面接が最初は慣れなかったり、業種を狭めずに就職活動を行ったのでたくさんの企業を見すぎて逆になにをしていいかわからなくなることもありました。そんなときに就職支援課にアドバイスを頂いたり、自分では気づけていなかった企業情報等について教えてらったりして、結果6社受けて、3社から内定を頂くことができました。内定が頂けたことについて、就職支援課には感謝ばかりです。
面接では「なぜ教員にならないの」という質問が投げかけられましたが、いままで自分がやってきたことを正直に丁寧に説明することで、自分が推したいPRしたい土俵にもっていくことができたかなと思っています。
就職活動のマストアイテム
「今日何に取り組むか」をまとめた手帳が就職活動では役に立ちました。勉強や就職活動など同時並行して進めないといけないときや、業種が違うと調べることが多岐にわたったのでまとめることで頭を整理することができました。
後輩へアドバイス
こども文化学科は教師になるか、就職か、と別ものとして区別されがちですが、教師の道も就職の一つの選択肢として考え、大変だと思うけど、就職活動の幅を広げてい頑張ってほしいなと思います。やりたいことにたくさんチャレンジしてほしいです。
4年間を振り返って
私は国内留学の体験がその後の人生に大きく影響したと感じています。留学から戻ってからはコロナ禍という状況もあり、世の中が止まったことも、人生どう生きていくかを考えることになったと思います。
今後の夢や目標
社会人として周りから尊敬される人になりたいですし、自分が尊敬する人にも近づきたいなと思います。そういう今の気持ちを忘れずに向上心を持ち、挑戦し続ける人でありたいなと思います。
石川琉人さん(辺土名高校出身)こども文化学科4年
内定先:大宜味村役場
大学進学について
第一志望の大学(自然環境について学びたいと志願)が不合格になったときに、高校の進路の先生に沖縄大学のこども文化学科を勧められました。奨学金が充実していることや自然環境について専門の盛口満先生のことなどを知り、進学を決めました。実際に盛口先生の講義を受けることができ良かったです。(先生の講義はとても面白かった!)
そんな感じでスタートした大学生活でしたが、就職についてはいろいろ悩みました。教師には向いていないなと感じてからは公務員試験にシフトして、教員養成を第一としている学科なので学科内でその他の就職や公務員試験の情報収集は難しくもありました。
なので大変だったことは、公務員試験の勉強です。学内の公務員対策講座も最初は受講しましたが、アルバイトと時間が重なり、独学で勉強するしかなく、そこは苦労しました。一日に長時間勉強できるタイプではないので、コツコツ早い時期から勉強ははじめた感じです。
助かったことは、就職支援課で参考書の貸出があり、利用させてもらい多くの過去問に挑戦したりできたことは感謝です。参考書代金も高いので、是非これから就職活動をする方は活用してほしいと思います。
モチベーション的にありがたかったのはバイト仲間からの声やお客さんの声です。宜野湾市内のコンビニエンスストアでアルバイトをしていましたが、店長さんが「石川君は就職活動にがんばっているんですよ」と周囲に話してくれて、お客さんも「がんばってよ」とかエールを贈ってくれました。
内定頂いた大宜味村役場について
中学校までは浦添にいて、自然環境分野を学びたいと思い高校は辺土名高校に進学しました。なので就職活動では、高校時代にお世話になり、愛着がある大宜味村に貢献したいとPRしました。大学でも共通科目で自然環境に関する科目を履修したので観光企画課などで大宜味村をよりPRしていきたいと提案したことが内定に結び付いたのではないかと思います。
教員にならないと決めた大学生活を振り返って
こども文化学科に進学したことは良かったと思います。大切な仲間との出会いがあったからこそ就職も内定がいただけたと思っています。こども文化学科の仲間たちは、『みんなで上へ上へ!がんばろう』という気持ちを持っているメンバーばかりなので、お互いの気持ちを高めあうことができました。その環境は勉強しやすかったですし、一人で勉強しているときもかなり励まされました。
後輩へアドバイス
教員を目指してこども文化学科に入ってきたとしても、いろいろなことを経験して自分の視野を広げてほしいなと思います。いろいろなことにチャレンジして、多くの人に出会ってほしいです。それが、どんな社会人になるか、どんな職業に就くかなど自分の将来の幅を広げることに繋がると思います。
今後の夢や目標
過疎化が進み、定住者獲得に力を入れている大宜味村、もっと人口を増やして賑やかな街になるようにしていきたいと思います。自然や景観を壊すことなく開発をすすめることを第一に、日本一の長寿の里になれたらいいなと思っています。
あと山と海に囲まれた地に一軒家を建てるのが夢です。