ピカリと輝く沖大生!(56)指導するミニバスケチームを全国大会へ導く!(福祉文化学科4年次 照屋黎児さん)
ピカリと輝く沖大生!(57)
夢に向かってがんばっている学生を紹介する『ピカリと輝く沖大生!』企画。56回目は福祉文化学科健康スポーツ福祉専攻4年次の照屋黎児さんをご紹介します。
照屋さんは大学1年次のときから、母校であるうるま市立南原小学校のミニバスケットチームのヘッドコーチを務め、2022年12月に開催された第37回県冬季選抜大会において見事チームを優勝に導き、3月に開催される全国大会へ出場を決めています。
母校の指導だけでなく、うるま市選抜チームと地区の育成コーチも務め、将来は中学校の体育教師になり、教育者として、そしてバスケットボールの指導者としても、頑張っていきたいと夢を抱く照屋さんにお話を伺いました。
Qバスケットボールをはじめたきっかけや高校時代について
小学校4年生のときにバスケットボールを初めて、最初の試合は0対140の得点で負けたんですけど、バスケットボールがとにかく楽しくて、高校は県内でも強豪校である北中城高校に進学し、バスケットボールを続けました。ただ、出身がうるま市与勝なので、高校では友人も最初はいないなか、部活の仲間との関係やプレーの技術面でのことなど悩みは多く、高校3年生のインターハイのときはスタメンに入れましたがそこまでは辛い時期でもありました。
中学校の頃から、バスケットボールの指導者になりたいなという夢があったので、教員になりたいという明確な夢も早い段階から抱き、大学進学は教員免許取得を狙って沖縄大学にしました。
Qヘッドコーチを務めることになったきっかけについて
大学1年次のときに、弟が所属する小学校の試合を見に行く機会がありました。自分の恩師が現在もコーチをしているので、「練習をみてもらえないか」と声をかけられて大学1年次の9月からサポートに入り、大学2年次の4月からはヘッドコーチとして監督業務である練習日程やメニューづくりを務めることになりました。やってみると教えることが好きだなと自分でも実感していきました。最初はチームづくりや言葉がけなど難しいと感じることも多々ありましたが、子どもたちの成長する力にいつも感動や楽しませてもらっていて、それに自分も応えられたらと、やりがいを感じています。日々勉強させてもらっています。大学1年まではプレーヤーとしても活動していましたが、本格的に指導にあたる際に、部活は引退することを決めました。弟の試合を見に行ってから、人生が大きく変わったなという感じです。多くの人に出会え、強豪チームの指導者の方とも交流を持つ機会を得られていて、まわりに感謝しています。
指導者1年目は大会では1勝を目標にしていたチームでしたが、2年目には中頭地区大会でベスト8に入り、3年目の今年は、冬の大会では優勝を目標にできるほど成長することができました。
Q指導するうえで心掛けていること
言葉の力です。準決勝や決勝になると、戦術ではなくて、どうやって子供たちの力を引き出せるか???。選手の気持ちにどう火をつけるか、どうやって導くかを考え、どういう言葉がけが必要かはとにかくずっと考えています。厳しいだけではなく、メリハリを大事に、自ら考えて動ける自主性を持たせることができるようにも心掛けています。
何事においても、好きじゃないとできないなと思います。私はバスケットボールが好きで子どもが好きなんです。
大学での学びが活かせているとも感じています。石原端子先生のスポーツコーチング論でも「コーチとは自分がやりたいことをさせるではなく、選手がいきたいところに導けるひと」ということを教わり、現在も心にとめています。
照屋さんのお母さんとお弟さん(小学6年生)
Q県大会で優勝、今後の夢について
大学4年間、授業が終わったら急いで練習に向かい、週に6日指導にあたるという日々で、学業との両立をさせてきたので、今回、チームが優勝できてとても嬉しかったです。チーム力など優勝以上の価値も得られました。感動を伝えられるような試合を常に心がけ、バスケットボールの楽しさをこれからも伝えていきたいと思っています。
目標は、中学校の教員になることなので、教育者としては子供たちがなりたいと思う自分にさせてあげられる教育者に、指導者としては子供たちが目指している目標に導ける指導者になりたいと思います。
Q卒業後について
4月からは、非常勤で学校現場で働きながら、通信教育で特別支援教諭の資格取得を目指します。もちろん現在のチームの指導も続けていきます。教員採用試験に合格できるようにがんばります。